INEH の沿革
Group History
英国ロンドンに本部をおくINEH(International Network of Energy Healing)は、1960年代にエソテリック・ヒーリングの実践と学習に携わる学ぶ人達で形成されたグループからその歴史が始まり、現在は世界各国にそのネットワークを広げつつあります。英国内では、チャリティ登録 (1032492) がなされ、The Confederation of Healing Organisation (CHO)の加盟団体でもあります。
初期の歴史 ― ブレンダ・ジョンストン女史の記憶に基づく
1960年代に約40名の「ヒーラー」のグループがポーツマス地域(イギリスの南海岸)で活動していました。彼らは手で触れて行うタイプのヒーリングを使っていました。ある段階で、グループのメンバーの1人がエーテル視力を発達させました。その彼はクライアントの周りのエネルギー・フィールドや、ヒーラー達の手から流れるエネルギーを視覚する事ができ、患者のサトルボディーに有効な変化が起きているのを見ることが出来ました。彼はそこで、テレパシーによって、ヒーリングの源(ソース)を繋がることで、クライアントの魂に「『チューニング』を合わせる」こと)、導きの声を聞くこと、そして、肉体に対してではなく、肉体から一定の範囲で離れた所にあるエネルギー・フィールドだけに働きかけることをグループの他のメンバーに指導し始めました(それまでそのような事は誰もしていませんでした)。第二次世界大戦の当時、彼はレーダー科学のバイオニアとして、放射能や電波を理解する者の稀な1人でした。おそらくそのおかげで、彼は7個の主要センター(メジャーチャクラ)と49個のマイナーセンターを「視る」ことをし、それらに働きかけるというワークを始めたのです。他のメンバーは、エーテル視力をもって、エネルギー・フィールドを視る事はできませんでしたが、彼の指示に従うにつれ、徐々に手でエーテル体を触知することが出来るようになっていきました。
ある日、グループ外の関係者が彼らの会合に参加したとき、グループメンバー達がやっているエーテル治療の所作を観察して、やっている事が、まさにアリス・ベイリーの書籍『 秘教治療 (Esoteric Healing) 』で読んだ内容に酷似していることに驚嘆の声をあげました。その時、グループのメンバー達の中に誰一人としてアリス・ベイリーの書籍の事は知る者はいませんでした。そのグループのメンバーの1人、のちに、私達のINEHの創設者となる、ブレンダ・ジョンストンがそれに興味を持ち、エソテリック・サイエンス(秘教科学)を学ぶため、1966年にアリス・ベイリー設立のアーケイン・スクールに入りました。
1973年頃、彼女はダグラス・ベイカー博士に招かれ、ロンドンの「ヨガと秘教科学の祭典」において「 秘教治療のテクニック」に関する初めての講演を行ないました。それ以来、彼女はアメリカやカナダにも招待される事になりました。アメリカのコミュニティの人達は、より詳細な実習を交えたワークショップで教えるよう彼女を後押ししました。彼女にとっては、そんな事をするとは思いもよらない事でした。彼女のエソテリック・ヒーリングの最初のパート1のクラスは、1974年、ダラスでの祭典にて、参加者75名で行われました。1977年にはドイツの スピリチュアル・ヒーラー連盟が彼らのアウグスバーグ会議にて、パート1を教えるように彼女を招聘し、その後の7年間、彼女はドイツ、スイス、そして南アフリカで教えました。
より最近の歴史 ― エソテリック・ヒーリングを伝える国際的ネットワークへ
1980年2月、ハンズオンのスピリチュアル・ヒーリングを行っていたディアナ・ローソンは、ブレンダが講演者の1人として登場していた、全国スピリチュアル・ヒーラー連盟のボーンマス年次総会に参加しました。ディアナは、ブレンダが自分が探し求めている情報を持っていることに気づきました。
ディアナは、普段から患者に触れる前に、患者の肉体の周りにある「エネルギー」を感じていたからです。ミーティング会場はディアナの家から遠く離れた場所であったにも関わらず、ブレンダの自宅が彼女の家からとても近い所にある事を知り、早速ブレンダから全てのコース(当時は全3コース)を受講しました。そして、彼女と一緒に実践と研究を進めるようになり、1982年9月にはイギリス南東部で最初のパート1を開催しました。のちに、ブレンダは引退し、2002年、国際的な養成機関のグループができる迄の間、ディアナがINEHのコーディネーターを務めました。
「International Healing and Research Network(ヒーリングとリサーチの国際ネットワーク)」 が創設されたのも1982年でした。その名称は、1993年、イギリスで慈善団体として登録された際に「International Network of Esoteric Healing (INEH) (秘教治療の国際ネットワーク)」 に変更されました(※)。2008年の時点で、世界中に約100人のエソテリック・ヒーリングを教える教師が在籍し、魂に基づいたグループワークとして秘教治療を広めています。教師陣の国際カンファレンスは、年に1回の頻度で開催され、毎年ごとに異なる国の教師陣がその開催年の主催を担当しながら活動が継続されています。今や、国際的なエソテリックの教師やプラクティショナーのネットワークが開花しているのも、ブレンダ・ジョンストンのバイオニア的な働きのおかげです。
日本での広まり ―
日本で知られている小さな情報としては、「いのちの輝き」の著者であり、有名なオステオパスである、ロバード・フルフォード博士が、書籍「サトル・オステオパシー」の中で、ブレンダ・ジョンストン女史との交流の中でアリス・ベイリーを知るようになったというエピソードを紹介しています。彼は、後進のオステオパス達にもアリス・ベイリーの書籍を全巻読むことを推奨しています。2000年12月以降、日本で初めて INEHの基礎カリキュラムを教え始めた トム・シェイヴァーD.O. もその1人で、国内でエソテリック・ヒーリングの実践が伝えられたのには、トム・シェイヴァーD.O. の貢献が大きく関与していることは、日本のオステオパスや手技療法家の間ではよく知られています。
日本で紹介され始めた当時は、1〜2年に1回、1パートずつの頻度で開催でした。エソテリック・ヒーリングの施術者を集中的に育てるというよりは、オステオパシーの実践する治療家や学習者たちが、オステオパシー哲学の源流を自ら体得し、施術の中で体現するために役立つ1つの素養を養う講座として開講されてきました(2年制コースという形式ではなかった)。じきに、そのような学びを長期にわたって続けてきた日本のオステオパパス生徒の中から、エソテリック・ヒーリングを更に深く学びたいというニーズが沸き起こり、トム・シェイヴァーD.O.から 故ジュディ・ジャッカ女史(INEH教師であり、アーケイン・スクールのシニアインストラクターでもある)が紹介されることになりました。他の世界各国のINEHと同じように、2年制コース(全4パート)の受講を前提としたトレーニング形式になったのは2014年からです。
現在の2年制コースでは、エソテリック・ヒーリング実技において礎となるエソテリック哲学や理論講義にも多くの時間が割かれるようになっています。日本で学ぶ生徒にとって、この2年制トレーニングの課程を体験する中で、形而上学の基本情報やエソテリシズム世界観に精通した上で、1個人として魂レベルでの健全な自己成長の機会を得たり、その体験を踏まえて他者へのよりよい奉仕(service)ができるファシリテーターとして活躍できる範囲を広めるための学び舎として機能しています。
※ 現在は、2014年に「International Network of Energy Healing (INEH) 」と名称変更されています。教えられているのは Esoteric Healing(秘教治療)です。旧名称は「International Network of Esoteric Healing (INEH) 」
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